「多忙」×「人間関係のハズレ」=「逃げられない地獄の始まり」【前編】

考察

多忙or人間関係のハズレのどちらか一方ではやっていける

 仕事が忙しくても周りの人が良ければやっていける。

 職場の人間関係が悪くても、定時退社できて、リフレッシュできるから、まあいっか。

 どちらもあると思います。

 仕事選びは、やりがい・金・人間関係の相関関係とも言われますが、忙しさと人間関係のバランスは大事です。

 私もそうでした。

 前職は、正直ずっと忙しくて、仕事中「退屈だな」と思ったことが本当に一度もありませんでした。

 しかし、それでもすぐに辞めずに済んだのは、おおむね、周りの人間がよかったからでした。

 上司のハズレを引くことはままありあましたが、周りの同僚たち、だいたいの先輩たち(中には変な人もいたけど)は相談にも乗ってくれるし、よく一緒に飲みに行って楽しかった思い出もあります。

 同僚の誕生日にはケーキを買ってみんなと食べたり、休日に一緒に遊んだりすることもありました。

 多忙なうえ、上司にガン詰めされても、同じ扱いを受けている同僚たちと愚痴を吐きながら酒を飲むことで多少発散できていました。

 辞めたいと何度か思いながら、なんとか耐えて過ごしていました。

 そう。適応障害を発症した年になるまでは。 

 くそ忙しいことに加えて、さらに、愚痴を吐ける同僚がいない、本当に合わない上司の下で働くことになると、これは、もう本当にしんどいです。

 分かる方は分かると思いますが、なかなか口で言い表せないしんどさがあります。

 今回は、このことについて、2回に分けてお話しします。

「多忙」と「人間関係のハズレ」が重なった年

 私が辞めた年の1年間はまさにそうでした。

 部署移動によってそれまで仲の良かった同僚たちと離れ、新たな仲間と働いていました。
 しかし、その彼らの部署移動によって、当時若手の数が減り、自分に仕事が集中しました。

 適応障害体験談にも書きましたが、それまでもなんとか多数の仕事を回していたところ、さらに仕事が増えたわけです。
 私に仕事を引き継いだ同僚たちはもういないし、同じ部屋で働く先輩方は家庭のこともあり、みんな早く帰宅してしまう。

 結局、夜遅くまで私一人部屋に残り、仕事をする。朝も誰よりも早く来る。

No1 消耗
前職場について ここでは、私が適応障害を発症するまでの経過についてお話します。  改めて自己紹介をすると、私は、もともと新卒で公務員として働いていました。 私が働いていた役所は、詳細は控えますが、主にデスクワークではあるものの、やや独特の仕…

 日曜日、ヤミ出勤しているときに、仕事の資料を読み切れていない焦りがピークを迎え、このままでは病んでしまうと直感でそう感じました。

 翌朝、直属の例の上司Aに相談し、多少は仕事を減らしてもらったものの、第一声には「単に仕事が多いせいなのか、自分の仕事の仕方が悪いのかよく考えた方がいい」「自分は若手のころもっと仕事していたぞ」と言われ、なんだか救いようのない気持ちになったのを覚えています。

 しかし、それを愚痴れる仲間はほとんどいない。

 そのモヤモヤをためたま、上司の部屋を出て、自席に戻りました。
 日曜も働いていた体の疲れと、上司の「冷たさ」に感じた言いようのないストレスの両方を抱えながらパソコンに向かいました。

 いや、日中、他の先輩や同僚が働いているときに、彼らに愚痴りに行けばいいじゃん。
 そう思う方もいるかもしれません。

 しかし、日中は日中で、今度は「多忙」の要素が効いているので、誰かと時間を取って雑談している暇がないのです。

 そんな話をしている暇があったなら、一刻も早く仕事を進めなきゃいけない、そんな状況でした。

 基本的に、当時、ゆっくりする時間ができるとしたら定時後でした。

 そして、定時後には、ベテランの先輩方はだいたい退社されていました(そもそも気軽に愚痴を話に行けるような関係性の先輩はあまりいませんでしたが)。

 多少残っているのは、理解のない上司たち(失礼!)と僅かな後輩くらいでした。

 後輩も後輩でなかなかしんどそうにしているので、愚痴を聞いてもらうにも限度がありました。

本当に大変な時こそ、SOSを出せない怖さ

 以前一緒に働いた面倒見のよい先輩が、「他の部署に行っても愚痴とか気軽に聞くから。電話しな。」とか言ってくれたことがありました。

 「職場が別になっても愚痴を聞いてやる」と言ってもらえることは、本当にありがたく、心強かったです。

 しかし、皮肉なことに、本当に忙しくて死にそうになっているときこそ、先輩に連絡する余裕もない(時間がない)というのを、このとき身をもって知りました。

 本当に大変な時にこそ、誰かに相談したり、SOSを出したりする余裕がないのです。

 私も追い込まれているとき、その先輩の顔が何度か頭に浮かび電話で話を聞いてほしいなと思うことがありましたが、その時間さえ作ることができなかった(当然、先輩なのでいきなり電話するわけにいかず、事前にアポ取りをしたうえで架けることになりますが、アポを取ったとして、忙しい自分がその時間を守れるかというのも不安でした)。

 ここは、完全に私の私見ですが、過労死された方とか、そこまでいかなくても鬱にまでいってしまう方は、きっと誰かにSOSを出す時間的余裕や気力がなかったからこそ追い込まれてしまったのではないかと想像します。

 たまに、そういった方々に対し、「なんでそうなる前に周り(同僚や家族)に相談しなかったのか?」と批判する人がいますが、それは全く的外れではないかと思います。

 きっと、本人はSOSを周りに出したかったけど、そんな気力や余裕すらなかったのだと思います。

 特に仕事量が常軌を逸していた場合、真面目な人間であればあるほど、とにかく仕事を前に進めることだけを考えますから、そこで、わざわざ時間をつくって家族に相談しようとか、そんなことをやる余裕はありません。

 だから、一人、孤独に自分を追い込んでしまうのではないでしょうか。

 私は、幸い、そこまでは追い込まれることはありませんでしたが、正直、これを書いている今思いだしても、当時は本当に苦しかったです。

 もし、当時、誰かに、愚痴を思い切り吐いて、例えばその人からも「おれも同じこと言われてるよ。」「あの上司くそだよな。気にする必要ないよ。」なんて言われて多少なりとも救われたと思います。

 今思えば、そんな状況でも、一旦立ち止まって、「あれ、業務量も偏ってるし、疲れ溜まっているし、一旦ここで冷静になった方がいいかも」と自分自身で考えることができたらよかったんだろうなと思います。

 しかし、なかなかそれはできませんでした。

 それは、私だけではないはず。 

 人間、もしそんな状況でも自分で立ち止まって判断することができるのなら、きっと、過労死とかうつ病とか適応障害になるなんてことはないでしょう。

 話がやや大きくなってしまいましたが、やっぱり、「多忙」×「人間関係のハズレ」は最悪です。

 こうして整理して考えてみると、その状況は、「ツいてねえな」とかいうレベルを超えて、もはや、怖い話だなと思うのです。

 以上、私のちょっと暗い実体験とともに、業務量のひっ迫と、人間関係のハズレが重なったときは恐ろしいという話をさせてもらいました。

 もし、これを読まれている皆様もそのような状況であるなら、一呼吸おいて立ち止まった方がいいかもしれません。

 では、そうなったときに本来どうあるべきか。

 次回、「周りが気づくことの大切さ<健全な職場環境のために>」で私なりの考えを、実体験とともに、お話をさせていただきます(真面目なタイトルになってしまいましたね(笑))。

周りが気づくことの大切さ(健全な職場環境のために)<「多忙」×「人間関係のハズレ」=「逃げられない地獄の始まり」【後編】>
結局、周りが気づくべき 「多忙」×「人間関係のハズレ」は最悪だという話の続きをしたいと思います。 前回は、そのような環境に身を置くと、気づかないうちに自分を追い込んでしまうリスクをお話ししました。 では、そうなったときにどうしたらよいのか、…
亮介
この記事を書いた人
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激務により適応障害を発症し、休職、療養、転職を経験。
働き方に悩む方々の背中を押したい、そんなブログです。

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