前職場について
ここでは、私が適応障害を発症するまでの経過についてお話します。
改めて自己紹介をすると、私は、もともと新卒で公務員として働いていました。
私が働いていた役所は、詳細は控えますが、主にデスクワークではあるものの、やや独特の仕事内容でした。
ある程度裁量をもって働ける一方でミスが許されず、サービス残業が当たり前の、どちらかというと体育会系の職場でした。
私は、公益のために働くことに魅力を感じ、この職場に入社しました。
しかし、想像以上に多忙で、入社してから、日が明るいうちに帰る日はほとんどありませんでしたし、土日はどちらか出勤することも多かったです。
ちなみに、我々の仕事は、1年目から管理職のような扱いを受けるため、残業代もありませんでした。
以前、時給計算をしたときは、800円台だったこともありました。
人手が足りない部署では、40代になっても夜まで働いている先輩方を見て、「このままここで働いていて大丈夫か?」と思うこともありました。
消耗
部署異動があり、新しい上司らのもと働き始めました。
ここでも相変わらず多忙でした。
この部署では、長らく病休中の方やママさんの方々がいたため、我々若手に仕事が集中する場面もあり、夜遅くまで働く生活が続きました。
数か月経ったころ、若手の同僚たちが部署移動したことから、彼らの仕事も自分が引き受ることになり、多忙を極めました。
それまで夜9時、10時まで働くことが多かったのですが、それに加え、定時前の早朝に出社して始業前に仕事をし、さらに、昼休みは昼食を抜いて仕事をする。
それでも回らない日もある、ときに出張も重なるなど、負荷の強い日々が続きました。
直属の上司は、私に仕事が集中していることは把握しており、「本当に大変になったら言ってね」とは言ってくれたものの、それ以上に特にフォローはありませんでした。
ちなみに、我々の仕事は基本的に縦割りで、「この件はこの人」という形での作業になります。
そのため、仕事が属人的になりやすく、他人が扱っている件については上司以外の人間はよく分からないという状態が多々ありました。
実は、疲弊した原因は、労働時間以外にも、上司らとの人間関係やそのほか色々ありました。
職場を告発することは、このブログの目的ではないので、長々と詳細を述べることはしませんが、ひとつ、「これはしんどかったな」というのを挙げると、周りとの忙しさの差でした。
もちろん、その時々によって誰が忙しいというのは変わってくるのですが、その当時、共同部屋で働いていました。
他の職員たちがゆっくり雑談しているのを見ている中で、自分だけ、雑談する暇もないくらい忙しくしているのはしんどいものがありました。
例えば、「その部署全体で忙しい」のでであれば、「みんなで耐えて乗り切ろう」という雰囲気でやれるかもしれませんが、自分一人、朝から晩まで孤独に時間に追われているというのは、ただでさえ疲弊していたメンタルをさらに削ってきました。
また、仕事量によって給料が増えるのであればまだ文句は言いませんが、給料は変わらない。
それどころか、自分よりもはるかに仕事量が少なかったり、時短勤務をしている先輩のほうが自分よりも給料が高い。
これは、「公務員あるある」ですね。
これも、疲弊というより、「不満」に近いのですが、ストレスに感じる要因ではありました。
以上のような環境で、少しずつ、私は疲弊していきました。
次回、「予兆」に続きます。

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