先生は、続けて、「休養が必要であり、通常2から3か月程度休むのが一般的である」と言いました。
当時の私としては、まるで「レールから外れるような」感覚がして、そんな長期間休むなんて考えられない、このまま働いたらどうなるかと尋ねました。
先生は、「このまま働き続けたら脳が器質的に変化してうつ病になる。そうなったら大変なんです」と言いました。
衝撃的でした。テレビやニュースでよく聞いていた「うつ病」。
脳そのものが変わってしまうと以前聞いたことがありましたが、自分もそうなってしまうと聞いて背筋がヒヤッとしました。
私は、休みたくないなんて言ってられないと思い、先生に診断書を書いてもらい、病気休暇をとることとしました。
翌日以降、病気休暇を取りました。
ここから、私の治療が始まりました。
私は、その後、結局3か月病気休暇をとり、4か月目にして復職しました。
長くなるので各段階での詳しい過ごし方については、別の機会にお話しすることにして、ここでは、簡単にざっくりのどのように体調が変化していったのかについてお話しします。
1か月目
当たり前ですが、最初の1か月目が特にしんどかったです。
まず、あまり寝ることができませんでした。
最初に発症した、寝付けるけど数時間後に目を覚まして、日が昇るまで寝られない、という「中途覚醒」がしばらく続きました。
これが本当にしんどかった。
実は、私は、最初の診察時に、先生から勧められた眠剤を断ってしまいました。
先生から、依存性のない眠剤があるよと紹介を受けたのですが、それでも人生で眠剤というものを飲んだことのない自分は、不安であると伝えました。
先生は、「それでは、しばらく眠剤は使わずに様子見をしましょう」と言ってくれ、次の受診の半月間、眠剤を飲むことなく過ごした。
しかし、後から振り返ると、眠剤をもらうべきでした。
今後、詳しくお話ししますが、やはり、寝られるようになると劇的に回復のスピードが速くなるからです。
それに、実際に使ってみて、依存性もあまりないと実感したからです。
寝られない以外は、いわゆる抑うつ的な感じがありました。
どうにも、気が晴れないのです。
もちろん、仕事のことを考えて憂鬱になることもありましたが、そうでなくても、あまり楽しいという気持ちになることは少なかったですし、何もやる気がしない。
あとは、厳密なカテゴリーだと抑うつに含まれるかもしれませんが、気力・体力の低下です。
まず、何かしようという気が起きないのと、仮に何かをしていても途中疲れてしまいます。
例えば、せっかく仕事が休みになり、自由時間ができたから本を読もうと思い、最初は読書をする気になっても、30分ほど読んだら疲れ果ててしまうのです。
以前は、30分の読書には足元にも及ばないくらい、仕事上で膨大な資料を読んだり、集中力を使って作業したりしていたのですが、30分の読書で限界でした。
それも趣味の本で。
これは、本当にショックでした。自分の体が変わってしまったと実感しました。
また、私は、散歩がもともと好きなのですが、15分の散歩に行くかどうかに1時間迷ったあげく断念して家で横になったこともありました。
この「迷う」というのを言語化するのは難しいのですが、気分転換に行きたい気持ちがある一方で、面倒くさいとはまた違う、外に出て歩くことの心理的なハードルみたいなものを感じ、行く気力がでてこなかったのです。
そうして、考えた末、やっぱりやめておこうと決めました。
このときは、ちょうど両親と一緒にいたタイミングでした。
私が「外出はやめておく」と両親に言って布団に入ると、普段、マイナスな様子を見せない父が「亮介、大丈夫なのか」と心配そうに言い、母が「まあやっぱり病気ってことなんだろうね…」と話している声が聞こえました。
このときは、以前の元気だった自分とはかけ離れてしまった自分に喪失感を感じましたし、「回復する気がしない」「このままじゃ日中ずっと引きこもる人間になっちゃうんじゃないか」と怖くなったのを覚えています。
疲れて何もする気力がしないから横になるけど、寝られもしない。
寝られないから、徹夜明けのような重い頭でボーっとするしかない。
暇だけど、気力がなくて何もできない。
ただ、時間を溶かしていく。
眠剤をもらうまでは、そんな感じでした。
少し元気が戻ったときは、家で映画を見たりしましたが、それも、途中で疲れてしまうので、休み休み見ていました(療養中に見た映画等は、また別の記事で詳しくお話しします。)。
調子の悪いときは、テレビをつけても、流れたCMを見てるだけて頭が疲れてしまい、結局、テレビを見ることもできませんでした。
一方で、食欲は普通にありましたし、仕事の話になると当然嫌になりますが、人との会話は普通にできていました。
たまに、日中、友人らとも会ったのですが、そこでは、それまでにため込んだ仕事の愚痴を吐きつつ、多少楽しく過ごせました。
しかし、そんな充実して疲れた日でも、夜寝付いた後、やはり目が覚めてしまいました。
あと、2週に1回のペースくらいで、上司Bから連絡が来ていたのですが、それを目にするたびに、憂鬱な気分になりました。
上司Bは、面倒見はよい分、昭和気質だったり、あまりデリカシーのない人で、定期連絡や体調の確認の連絡をしてきました。
悪気はなかったのでしょうが、これは、本当に嫌でしたね。
上司Bは、本当の意味で私の不調の具合を理解しておらず、連絡を目にするたびに、何とも言い難い不快感を感じていたのを覚えています。
ちなみに、休んでから、これまでの自分の働き方、上司の采配や言動、周りとの仕事量のギャップを冷静に考えることができ、初めて、上司や職場に対していら立ちを覚えました。そして、「もうあんな職場戻らねえ」と思うようになっていました。
他方で、仲の良かった職場の人たちのことも頭をよぎり、あの人たちは私のことをどう思っているのだろうかと、自分の見られ方を気にする自分もいました。
以上のような精神状況でしたが、生理的な点では、食欲があったり、友人と話すことには抵抗感が無かったりした面からすれば、自分は、適応障害の症状としては特に重い部類ではなかったかもしれません。
それは幸いでした。
このように約3週間ちょっと過ごした後、心療内科に再診に行きました。
次回「No5 回復」に続きます。

コメント