No1 消耗

適応障害体験談

前職場について

 ここでは、私が適応障害を発症するまでの経過についてお話しできたらと思います。 

 ここでも自己紹介をすると、私は、もともと新卒で公務員として働いていました。

 私が働いていた役所は、詳細は控えますが、主にデスクワークではありますが、やや独特の仕事内容で、ある程度裁量をもって働ける一方でミスが許されず、サービス残業が当たり前の、どちらかというと体育会系の職場でした。

 私は、公益のために働くことに魅力を感じ、この職場に入社しましたが、想像以上に多忙で、入社してから、日が明るいうちに帰る日はほとんどありませんでしたし、土日どちらかでることも多かったです。

 人手が足りないところでは、40代になっても夜まで働いている先輩方を見て、このままここで働いても大丈夫かと思うこともありました。

消耗

 部署移動があり、新しい上司らのもと働き始めました。

 ここでも相変わらず多忙であり、また、この部署では、長らく病休中の方やママさんの方々がいたため、我々若手に仕事が集中する場面もあり、夜遅くまで働く生活が続きました。

 数か月経ったころ、若手の同僚たちが部署移動したことから、彼らの仕事も自分が引き受ることになり、多忙を極めました。

 それまで夜9時、10時まで働くことが多かったのですが、それに加え、定時前の早朝に出社して始業前に仕事をし、さらに、昼休みは昼食を抜いて仕事をしても回らない日もある、ときに出張も重なるなど、負荷の強い日々が続きました。

 直属の上司は、私に仕事が集中していることは把握しており、「本当に大変になったら言ってね」とは言ってくれたものの、それ以上に特段のフォローはありませんでした。

 ちなみに、我々の仕事は基本的に縦割りで、この件はこの人という形での作業になるので、仕事が属人的になりやすく、他人が扱っている件については上司以外の他の人間はよく分かっていないという状態が多々ありました。

 疲弊した原因は労働時間以外にも上司らとの人間関係やそのほか色々ありました。ただし、元職場を告発することは、このブログの目的の目的とするところではないので、詳細を述べることはしませんが、ひとつこれは、しんどかったなというのが、周りとの忙しさの差でした。

 もちろん、その時々によって誰が忙しいというのは変わってくるのですが、その当時、共同部屋で、他の職員たちがゆっくり雑談しているのを見ている中で、雑談する暇もないくらい一人忙しくしているのはしんどいものがありました。

 その部署全体で忙しい状況であれば、みんなで耐えて乗り切ろうという雰囲気でやれるかもしれませんが、自分一人、朝から晩まで孤独に時間に追われているというのは、ただでさえ疲弊していたメンタルをさらに削ってきました

 また、公務員あるあるですが、自分よりもはるかに仕事が少なく、時短勤務をしている先輩のほうが自分よりも給料が高いというのも、これは、疲弊とは違いますが、正直なところ、納得はいきませんでした。

 このあたりの適応障害に至った働き方について、今後、別の記事でくわしくお話しします。

 次回、「予兆」に続きます。

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