1 これまで主に私の体験談を中心にお話しをしてきましたが、ここでは、私なりのちょっとした考察をお話させていただこうと思います。
突然ですが、ブラック職場というのは、ローマ帝国と同じ理由で崩壊するのではないかと思っています。
今日は、そのことについてお話しします
なお、細かい史実には誤りがあるかもしれませんが、一つの見方として読んでいただければ幸いです。
2 説明不明の歴史上最大の帝国、ローマ帝国。
そのローマ帝国が崩壊した理由は(ここでは、西ローマ帝国の崩壊を念頭に置きますが)、ゲルマン民族の大移動、皇帝の権威の失墜、軍事力の弱体化等さまざまありますが、実は、国力を低下させた根本的な原因の一つして、インフラが弱まったという点があります。
どういうことかというと、そもそもローマ帝国のインフラ(道路、水道、橋等)は、当時の貴族たちが、ほぼ無償で、私財を投じて整備していたようです。
現代では考えられません。なんでそんなことをしていたのか。
それは、ローマという国が、「その市民がどれだけ祖国に貢献したか」という名誉を重んじていたからです。
貴族が、自分たちで橋を立て、その橋に自分の名前が刻まれる。
その名誉が、当時の貴族にとって、金よりも大切なことだったのです。
だからこそ、ローマでは、貴族が自ら(時に借金をしてでも)私財を投じてインフラ整備やその維持に努め、そのおかげで、国家が回っていたのです。
しかし、戦争が続き、防衛費増大による税負担の加重、インフレ政策等で、貴族も経済的に厳しくなってきました。
中には、それでもなお、名誉のために公益事業に努めた貴族もいたはずです。
しかし、多くの貴族たちは、そんな状況が続いたことで、私財を投じてまで、インフラ整備に力を注がなくなり、その結果、インフラが荒廃していきました。
インフラが整備されないとどうなるか。
道路が荒廃すれば、軍事や貿易のための流通が滞りますし、上下水道が整わなければ、市民が自由に水道を使えず、生活もままならなくなったでしょう。そして、帝国としては、そのような国内が混乱した状態で、国外での戦争に耐え忍ぶのは容易なことではありません。
国力は弱まっていきました。
このように、ローマ帝国崩壊の一因である国力低下について、以上のような見方ができるのです。
3 そして、ここからが本題ですが、私は、この話は、現代でも無関係ではないように思います。
貴族によるインフラ整備がされなくなって一国が崩壊したという話は、単なる政治の失敗談で終わるものではなく、もっと組織としての構造の問題があったのだと思います。
というのは、ローマ帝国において、「国」ではなく、「貴族」が各人の努力によってインフラを整備していたというのは、まさに、「個人の善意に頼ったシステム」だったからこそ、崩壊の要因になったのではないでしょうか。
そして、現代の、それも、とても身近なところでも「個人の善意に頼ったシステム」が見られます。
そう、サービス残業や無休出勤など、いわゆるブラックと言われる職場です。
前職を悪く言うつもりはありませんが、正直なところ、私の前職も、個々人のサービス残業が当たり前になっていました。
サービス残業ありきの業務量が個々人に振られ、土日もいわゆるヤミ出勤という形で、仕事をすることがありました。
上司たちは、「自分も若手もうちはそうだったな」と懐かしがるように言うだけでならまだしも、当の上司も土日に出勤し、平日と違って電気のついていない暗い廊下で鉢合わせることだってありました。
同僚も先輩たちも上司も誰も、いちいち残業の届け出はしません。
それが昔からの文化であり、そうしなければ、とても、会社全体として仕事が回らなかったのです(もちろん、中にはとびぬけて要領が良くてあまり残業をしていない人もいたとは思いますが、多数派は、多少なりともサービス残業が前提の仕事量をこなしていました。)。
特に私の職場が昔ながらの体質だったからというのはあるかもしれませんが、こういった状況は、他の職場でも十分ありうる話ではないでしょうか。
例えば、公務員の方は、予算で残業代を支払える額が決まっているので、明確に、あるいはそれとなく、残業代を申請しないようにと言われることもあるのではないでしょうか。
こういった状況は、周りの職員たちも当たり前にやっているからこそ意識されませんが、まさに、サービス残業という「個人の善意に頼るシステム」そのものではないでしょうか。
「善意」の中身を分解すると、ローマでは「名誉」、現代職場では「責任感・真面目さ」と表現の仕方は少し変わってくるものの、その根源にある「組織に貢献する気持ち」は同じではないでしょうか。
4 では、そういった組織は、最終的にどうなるのか。
それは、まさにローマ帝国の帰趨が示しています。
最初は、理性的な人が集まっているので短期的には回る。しかし、長期的に見るといずれはガタがくるのだと思います。
結果に対する対価がないなかで、仕事をし続けるというのは、例えば「仕事に慣れるために、金はいいからとにかく量をこなして経験値を増やしたい」とか、「仕事が楽しくて仕方ないから無給でもやりたい」といういわば自発的なものであれば、それほど問題はないようにも思えます(とはいえ、現代の労働の概念からすれば、この場合であっても、厳密な意味で問題がないとは言い切れませんが。)
しかし、サービス残業が「常態化している」、「それを前提として組織が回っている」。
こうなると問題なのです。
もしかすると、こういったタフな仕事には、精力的な人、仕事を生きがいにしたい人、真面目で責任感の強い人が集まる傾向があるかもしれません。
だからこそ、その人たちが理性的に仕事に向きあい、サービス残業も文句を言わずにこなすことで、最初のうちは回ります。
しかし、そのような人たちも、「その生活がずっと続くもの」とはあまり思ってはいないのではないでしょうか。
多忙で疲労が蓄積した時、あるいは、給料が見合わないと気づいた時、仕事を離れる決意をする人もいるでしょうし、「給料が変わらないなら手を抜いたほうがいいや」と思って手を抜き始める人も出てくるでしょう。
そして、今度は、手を抜くようになった人を横目に、なおも頑張り続けている人がさらに消耗していくのです。
そうなると、その人も、自分も手を抜くか、あるいは、モヤモヤした思いを抱えながらも真面目を貫いて体を壊すまで働くか、どちらかのパターンになることが多いのではないでしょうか。
これは、想像ですが、きっとローマ帝国末期の貴族もこんなことを考えていたのではないかと思います。
想像ですが、
「俺たちは、これまで何世代にもわたってローマ市民の誇りを胸に、インフラを整備して祖国に貢献してきた」
「それなのに、祖国は、そんな貢献に目もくれず、おれたちに重税をかけてくる!」
「こんなに報われないことはあるか!」
「これまでは祖国のためと思って耐えてやってきたけど、もうやってられん!」
「インフラ整備はもうやらんし、なんなら、代々守ってきたこの土地なんか捨てて、安定しているらしい東ローマに引っ越してやる!」
こんなことを考えて、インフラ整備を放棄し、さらには、西ローマを捨て、東ローマに移った貴族たちもいたんじゃないかと、想像してしまいます。
5 「名誉のため」「この会社に貢献したい」「責任感がある」そうした気持ちのもと、組織に貢献すること自体は、美しいことです。
そういった人物を、ローマでは「徳が高い人」と言っていたようですが、現代においても、非常に美しく、その姿勢を否定するつもりは全くありません。
しかし、「組織が、それを当然の前提として個人の善意に甘える」という構造になってしまうと、無理があるし、ガタがくるのです。
そして何より、そこで働く個々人が、善意の名のもと身を削らざるを得ならず、しんどい思いをすることになる。
だからこそ、やはり、組織は、個々人の努力には、正当な対価を払うべきなのです。
正当な対価は、経済的・精神的な満足を働き手に与えるだけでなく、その努力に対する「承認」となり、モチベーションを維持させます。
それこそが健全な職場環境であり、「徳の高い」優秀な社員を引き留め、組織が長期的に回っていく力をつくるのです。
ちなみに、西ローマ帝国が崩壊後、東ローマ帝国では、その反省を生かし、有給官僚制を導入するなどの変化がありました。
現代の職場においても、個人の善意に依存するステムは早急に見直し、「制度」として変革をしなければ、未来はないのではないでしょうか。
もし、あなたが今、善意で回る職場にいるなら、一度立ち止まって考えてみてもいいかもしれません。
6 以上、私の思う、ローマ帝国崩壊とブラック職場には通ずるものがあるという考察でした。すべての道はローマに通じるとは本当によく言ったものです。
とは言っても、どんなにしんどい環境でも頑張って生き残る人はいるでしょ?
そんな疑問も湧いてきます。
次回の記事では、この点を掘り下げ、過酷な環境で生き残る、本当に「徳が高い人(?)」はどんな人か、そして、そういう人が今度は上司になるとどうなるのか?という点について、私なりの考えをお話ししようと思います。
次回「自己犠牲の仕事ができる人が上司になるとどうなるか!?」でお会いしましょう。

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